それが一生懸命やると
いうことなんです。
剣道部の歩みはこちらから
私が剣道部に入ったのは中等科1年の寒稽古の時です。先輩方にしごかれ、つらかった想い出もあります。なかでも一番怖かったのが秋田さんでした。それでも愛情の感じられる厳しさだから耐えられました。おかげで私が中等科の主将になった時に、負け続けていた附属戦で、久しぶりに勝つことができました。この時は本当に先輩方に感謝しました。秋田さんは私が学生当時は最上級生か、卒業されたばかりで、コーチとして以外のお付き合いはほとんどありませんでしたが、戦後改めて剣桜会を起こす時に声をかけていただきお手伝いすることになりました。そんな中で、今感じることは、秋田さんがおられなければ、戦後の剣道部も剣桜会もなかったということです。ありがたい先輩に恵まれたものと感謝しております。
毎年旧制高校の寮歌祭が盛大に催されているが、昭和50年、それに付随して行っていた剣道の試合や稽古を独立しようという気運が芽生え、各校のOBに呼びかけて旧制高専剣道大会が発足したと聞いている。その名の通り旧制の高等学校専門学校に在学して剣道をやっていた者が、往事の校名を掲げて集い、技を競い合い旧交を暖めることを目的としたものである。 前桜友会会長の故秋田一季先輩(剣桜会名誉会長、剣道部総監督)は発起人の一人で、学習院も秋田先輩に率いられて第一回大会から参加した。初期の参加校は20校前後だったが回を重ねるに従って増え、最盛期には30余校・40を越すチームを数えたこともある。学習院は6名で2チームを結成し、個人戦団体戦で大いに気を吐いたものだ。しかし、樋口周雄(故)、六所五郎、秋田一季(故)、今泉常正、田中雄平等の先輩は加齢や病気のため順次リタイアを余儀なくされ、第十回大会以降は1チームを結成するのがやっとで、何回かは大将を欠く2名で出場したこともあった。 出場資格が旧制高専卒ということもあって平均年齢は年々高くなり、出場校出場チームが減少するのはやむを得ず、平成10年6月7日に東京武道館で開催された第24回大会に集まったのは17校19チームであった。学習院からは小倉成美、荷見虎男、松岡志郎(当日欠席)、佐藤蕃の4名がエントリーし、次のような戦績を収めた。 個人戦は佐藤1対0、小倉2対1でそれぞれ勝利。団体戦はAブロックで一回戦シード、二回戦(対中央大専門部)を先鋒佐藤二本勝、中堅荷見引き分け、大将小倉一本勝で快勝したが、三回戦(対姫路高校)は佐藤が二本負を喫し、荷見、小倉が共に引き分けという結果で惜しくも敗退した。姫路高校はこの後水戸高校に引き分け、30分にわたる壮絶な代表者戦で辛勝、Bブロックを勝ち進んで来た早大専門部を退けて優勝を飾った。因みに姫路高校は今回も含めて8回優勝している強剛チームである。 ともあれ我が学習院チームは昨年の大会と同様、準々決勝まで駒を進めてベストエイトに名を連ねたのである。チームの平均年齢は70.5才であるが意気はなお旺んで、平成11年6月5日に予定されている次期大会には更に上位を目指すべく期している。・・・24旧高 佐藤 蕃・・・