漕艇部後援会

待望の戸田艇庫竣工

 去る7月28日院戸田艇庫が竣工し、島津院長、小倉学長先生をはじめとする学校関係者および設計・建築関係者多数のご出席のもとに竣工式が挙行されました。計画立案から予算処置、工事と約4年間にわたってご尽力頂きました皆様には現役、後援会一同心よりお礼申し上げます。

 院漕艇の歴史は明治24年東京府尋常中学(現日比谷高)第一回競漕大会に参加した時から始まり、翌25年水上部(現漕艇部)として発足し今日に到っております。以来艇庫は隅田川東岸から荒川尾久〜と移っていましたが昭和20年3月の大空襲により焼失、また戦後の混乱もあり拠点を失って大変苦労した時期がありました。しかし、昭和38年当院より東京オリンピック競漕候補選手3名を出すまでに回復、発展し、艇庫取得の強い希望が満ち溢れ、ついに学校当局のご理解を得て旧一高の土地を取得し、後援会によって翌昭和39年戸田艇庫が完成致しました。
 その後、艇庫は学校に移管され平成12年まで35年間大学・高等科のボート大会や現役の練習の中心となってまいりましたが老朽化によって建替えの必要が高まって今般の竣工につながった次第です。
 新艇庫建設は我々学習院オアーズマンの悲願でありました。意を体して実現していただいた学校当局及び、主旨に賛同され「21世紀計画」にご寄付された会員、関係者の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。
 これより現役は21世紀に向け新艇庫を人生鍛練の場として活用し、近い将来にインカレ・インターハイの覇者を目指すものと思いますので、今後とも物心両面でのご協力をお願い申し上げます。

新艇庫に寄せられたOBの想い
学習院漕艇部後援会会長 中野新一郎(昭22旧高)

 学習院輔仁会漕艇部は、昭和23年の後半までは「水上部」として学習院の中でも古い歴史をもった運動部のひとつで、戦前は尾久に艇庫をもち、対外試合はもとより院内レース等が活発に行われておりました。


右から3番目が中野会長

 昭和24年の大学設立と同時に対外試合に積極的に参加し、小笠原長武(昭27政)、島野卓爾、今泉季正(昭28政)氏等がスカール、フォアに出場し活躍され、同時に後輩の指導と将来を考えて漕艇部後援会の組織化に並々ならぬ努力をなされました。
 初代の後援会会長に元埼玉銀行頭取の故・秋元順朝氏(大14旧高)が就任され、今日の基礎を作られました。後援会もやがて50年目を迎えようとしています。
 現在会員は400名を超え、みな学生時代にエイトやフォア、スカールにオールを握って青春を謳歌した者ばかりです。今年7月に会員の浄財をもとに、学校当局の協力を得て、埼玉県の戸田ボートコース脇に待望久しい「新艇庫」が完成し、学習院の学生の健全なるスポーツ施設として活用されますと共に、輔仁会漕艇部の基地として対外試合に活用していただきたいと願っております。
 現在は、高等科漕艇部と大学漕艇部が一体となって、装い新たな艇庫で選手の強化に後援会も鋭意取り組んでおります。

明治以来の歴史と伝統を誇りに、チャレンジスピリットを抱きながら、
新しい歴史を刻む「漕艇部」。 漕艇部の歩みはこちらから。