学習院大学山岳部のレッドメイン峰(6,112m)世界初登頂成功 |
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1999年学習院大学山岳部レッドメイン登山隊隊員 2000年度同山岳部主将 法学部政治学科2年 高 橋 寛 之 我々学習院大学山岳部は、1999年秋、中国四川省大雪山脈のレッドメインにて、初めての海外合宿を行いました。10月5日、3名が、同峰の頂に世界で初めてたどり着き無事登山を終えることが出来ました。若手OB、現役が中心となって準備をすすめた結果、ここに世界初登頂と言うかたちで報告できることを喜ばしく思います。初登頂という体験を我々に与えてくださった皆様には我々一同、心から感謝いたします。そしてこの報告をさせて頂きたく思います。 |
今回我々が行った海外合宿の計画は、そもそも(1)1999年という年は学習院大学輔仁会山岳部にとって創立80周年という節目の年であった事、(2)近年部員の数が安定していなかったがこの年は部員数が増え安定してきたので登山の能力が安定し、またそれに伴い部員の士気の高まりから是非海外登山に行きたいという現役の要望があった事、(3)近年山岳部全体の活動が低迷している中で1999年は新人が入り、部の活性化のためにも海外登山の魅力を体験してほしいと様々な方のご理解がいただけた事。この3点が偶然にも重なり、海外合宿の計画は心理的な障害もなく、皆の中に固い決意と、熱いものが沸き起こってきてとんとん拍子に遂行して参ったのであります。
さて今回われわれ学習院大学山岳部は中国四川省横断山脈、ミニヤコンカ山群の未踏峰で登山を行いました。そして無事世界初登頂をいたしました。その未踏峰、レッドメインについて紹介いたします。同峰は、レッドメイン(Reddomain/中国名・勒多漫因)と呼ばれていますが、このレッドメインという山名は1929年にナショナルジオグラフィックマガジンの取材でミニヤコンカ山群を調査したジョセフ・F・ロックの記述に基づくものです。彼は次のように述べています。
「リウチ峠の源頭及びジェシ峠から見渡して、最もすばらしい峰のひとつにレッドメインソロがあり、その大きく美しい雪山は二万三千フィートの高さがある。」
1974年発行の「Die Grossen Kalten Berge von Szetschuan」には、現在のリウチハニヤ峠側から1930年に撮影したレッドメインが紹介されている。美しいピラミダルな山容、手前に氷河湖、登るに値する秀峰と実感できました。周辺のチベット人の生活も描写されていて貴重な本です。
1998年にミニヤコンカ一周の調査をなされその記録を「岳人」(1998年12月号)に発表された横断山脈研究会の竹内康之さんによれば、私達が目標とするレッドメイン峰を現地名で「ネントーサ=冷吐色(Leng tu Se)」としている。私たちは登山活動を行うにあたって、はっきりした現地名が定着しているのであれば、その名称を尊重し、「レッドメイン」という山名を改定するつもりであった。しかし私たちは、現地にてネントーセという確固とした山名を確認することが出来なかったので、レッドメインという比較的知られている山名を採用するのが妥当と考えたのである。
またレッドメインという表記は、1993年発行の「中国登山指南」(史占春編・成都地図出版社)に、「勒多漫因・(Le Duo Man yui)」と発表されているものです。
このように私たちが調べたところでは、現地名も、レッドメインという山名の由来も明らかにすることは出来ませんでした。今後、機会があれば続けて調べていきたいと思います。また新たな情報が得られた際ご教示いただければ幸いであります。
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今回の海外合宿は、「現役学生が主体」を、合言葉に進めてまいりました。そのため最上級生の2名、小川・円代は格別熱いものを持っていたようでした。我々が、稚拙にも自分が登れるか登れないかのみを考えているときでも、落ち着いた表情で、我々を様々な難易度の山に連れて行き、そして、吹雪で一日停滞の時などは朝から晩までテントの中で海外山岳の雄大さや、有名な登山家の哲学や、海外にかける夢、を熱く、しかしながら冷静に、我々に語りかけていました。今思い起こせばただ歩いているだけでも死にかけるような事件を起こしていた我々を、海外に連れて行こうというバイタリティーには脱帽の思いでありますし、並外れた度胸、精神的な葛藤があったと思います。 |
そして、世界のどんな高名の登山家よりも先輩の方が立派な哲学をお持ちになっていたのではないかとおもい尊敬の念を持たずにはいられません。このように海外合宿を迎えるまでの半年間はあっという間に過ぎていきました。そして、田代先輩と私がついに先発隊として9月6日、東京を出発するとき、先輩がおっしゃった「いよいよか、山岳部も日の光があたるときが来たな」とボソッと言い皆で笑った後、「よし頑張ってこい」といわれ肩を叩かれた時の先輩の熱い目は忘れられません。この時の我々には体の中に違うものが流れていた様にも思います。非常に情熱的で青春を感じました。我々は、ただ単に"未だ"であるとか、"命がけ"という言葉を聞いただけで興奮し、真剣になってしまう民族のようなので、ましてや、今回のように、世界初、人類史上初、自分たちの一歩が世界地図の空白を埋めていくのだと思い浮かべただけでもう夜も眠れないと言ったような状態であったことを記憶しております。(こんな我々ですから、現地についても、現実とかみ合っていなかったのですが。)
本隊が9月12日に成都に到着して翌日、矢萩隊員が到着、15日に成都から3900メートルの二郎峠を越え康定で1泊。富士山よりも高いところにいることに興奮し、そして周りにはチベット文字が広がっていることに中国であるという事に違和感を覚えました。翌日16日、人が住んでいる最後の村老楡林に到着しチベット族のお家に泊まりしばしウルルン体験をしました。ここから徒歩での登山活動が始まります。そしてだんだんと秘境になってきますと、テレビに出てくるようなとても素晴らしい桃源郷が広がっていました。神秘的な山岳、のんびり草を食む野生動物、穏やかで素朴なチベット族の人々、雄大で、高さはゆうにピラミッド校舎を越えるほどの氷河、すんでいてまるで夜のように深みのある青に宇宙を感じる空。そのような景色に陶酔しながら9月17日から9月21日の5日間をかけて、レッドメインの裾野のベースキャンプに辿り着きました。このあたりの標高は4500メートル。皆様ご想像の通り非常に酸素が薄く、高山病になる者もいました。何せ体操が出来ないくらいで、だいたいは、1、2、3、4、で息が切れてしまうありさまなのです。こうして、登山活動が始まりました。登山方法は、極地法というもので、ベースキャンプ、キャンプ1(C1)、キャンプ2(C2)、といった具合に頂上への前進基地を築き、頂上に攻撃をかけるというスタイルであります。C1を9月25日にC2を10月1日にほぼ順調に築き、第一次頂上アタックを田代・原田2名が10月4日に行いましたが、雪庇の崩壊により断念、一時は通信不能となり最悪の事態を考えさせる長い時間が過ぎていました。その後、2名とも無事にC2におりてまいりました。そして、10月5日、棚橋隊長・小川・田代の3名で第2次頂上アタックに出発しました。そして無事に登頂いたしました。登頂の瞬間を登頂者である小川氏はこう言っています。「(登頂した瞬間)、不思議と何の感情も湧いてこなかった。ここに来れば何か自分にとって素晴らしい物があるに違いないと思っていたが、何か込み上げてくるものがあるわけではなかった。しかし、一つだけ気付いたことがある。それは自分の小ささである。中国大陸の何処までも続く山の中に聳えて立っているレッドメインのピークに立つと何と自分の小さいことか。もっとこの大陸のように大きくはなれないものかとしみじみ感じた。」 たしかに、登頂の瞬間コメントを求めたら、「あー」とか「うー」しか言っていませんでした。一生の笑い話でしょう。3人は神になっていました。ところがこの山は神が2人できることを許しませんでした。そう、帰り道3人は落雷にあったのです。そのときの様子を田代氏は、「背中につけている金具がぶんぶん鳴っていると思ったら、突然先頭を歩く棚橋隊長がデビルマンのごとく光った。」と言っていました。その後3人とも落雷を体験し、命からがらベースキャンプに戻ってまいりました。そのときの安堵の気持ちと言うものは、筆舌しがたいものがありました。しかし無事であればすぐに良い体験をしたという話になり、大笑いの中登頂の喜びも重なって、夜中まで、宴会をして喜びを分かち合いました。すべてのごみを処理、またはパッキングして10月9日、ベースキャンプを出て老楡林に到着しました。そこで今までお世話になったチベット族の人たちと涙のお別れをしました。この部にいる限り事故にて知人との辛い別れに立ち会うことがあるので、この人達と恐らく一生別れなければならない事が判った時、非常に辛い思いをしました。11日に康定へ、12日に、成都に到着しました。その後、解散と言うことで、おのおの帰路につきました。
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今回の海外登山を振り返ると、未熟な登山隊によるドタバタ珍道中でありました。しかしながら私たちは、登山の持つ喜び、悲しみ、面白さ、辛さを幾ばくか共有することが出来たと思います。何の因果かわからないが、学習院大学の山岳部に入った人間が、登山を通して通じ合う、そのことの不思議さ、ありがたさ。それらをわずかながらも感じることが出来たと思います。 |
この登山で私たちは未熟ながらも1枚のタペストリーを織り成したものと思います。それはまだ人にお見せできるほど立派ではないが、私たちにとってはかけがえのないものであります。それは私たちの心の中で存在しつづけ、時に私たちを励まし、勇気付けてくれるものであると思います。そしていつの日か私たちの中で、また別の美しさを放ち始めるかもしれません。私たちはそれが四川省の美しい自然の中で織り成されたことを、いつまでも幸運なことだったと思うことでしょう。最後に趣旨にご賛同いただき、ご支援をいただいた皆様に厚く御礼申し上げます。今回の海外登山を通し、人にとって一番大切なものを見つけたように思います。この思いつきの内容は良くわかりませんがとても大きなものと思います。この思いつきを吉とだすか凶とだすかは個々が天より審判を頂くと思いますが、もし隊員の一人が地獄に落ちたら皆で地獄に落ちるでしょう。命を掛け合った者の持つ"絆"がいかに強いものであるか、地獄の苦しみにも耐えられるのです。
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