学 習 院
学習院院歌
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役員人事/称号贈呈/春の叙勲
学習院広報 平成13年7月15日発行第64号より抜粋
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学 習 院 院 歌
院長 島 津 久 厚 | |
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京都で公家の学問所であった学習院は、明治維新後の東京遷都により明治十年神田錦町で再興されました。いつから式典等で歌が歌われるようになったか、はっきりしませんが、「修学習業歌」は古くから歌われ、また華族女学校、女子学習院では「金剛石」「水は器」「花すみれ」「月の桂」が歌われました。その他寮歌や応援歌はいろいろとありましたものの、正式な院歌というものはありませんでした。それが、第二次世界大戦後社会情勢の大変動に伴って、昭和二十二年、学習院が宮内省の管轄を離れて私学として再発足した当時の院長で、以後昭和四十一年に亡くなるまで院長であった安倍能成氏によって昭和二十六年四月に新しく院歌が作られました。安倍院長は高名な哲学者、教育者であり、かつ気骨ある自由主義者として高名な方であります。元学習院大学長児玉幸多氏によれば、安倍院長が「私の学習院学生及び日本国民に寄せる願いを披瀝するために」「二、三ケ月も考えてやっと出来た」程の思いを込めて作詞されたのが現在の院歌です。御承知の方が多いのですが念のために記しますと歌詞は次の通りです。 |
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一、もゆる火の 火中に死にて |
三、なげかめや 昔を今と |
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なお、作曲は「海行かば」などで有名な信時潔氏です。 | |
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